デジレ・クリスチャンのエナメル蜻蛉タンブラーです。
サインは底に"VELLERYSTHAL"
デジレ・クリスチャンは1846年5月23日ウクライナ西部の都市"Lemberg"生まれ。
絵画を学んでいましたが、ガラス職人に転身。
1864年にマイセンタールのブルグン・シュヴェレル工房に参加。
その二年後の1866年にエミールガレが同工房に三年程デザインの技術と
製造を学ぶ為にやってきて、クリスチャンはガレに技術、知識の全てを教えました。
1881年頃彼は半独立のデザインスタジオと装飾作業場を持つ迄に認められ、
1885年にブルグン・シュヴェレル工房と契約したした結果、彼の仕事はほとんど
グラスのデザインとガレのちょっとした細工の指導となりました。
その契約は約10年続き、顧客の幅を拡大する為にガレからの実質のない
注文が時折入る時があり、彼は次第に"VELLERYSTHAL"のデザインに
移って行きました。
やがてガレとの契約が終了する前にクリスチャンはいくつかの新しい技術を
開発しました。その芸術的なグラスはブルグン・シュヴェレル工房によって
製造され、デジレクリスチャン、その兄のフランソワーズやその息子
ARMANDの署名も入れられたのに加えて"VALLERYSTHAL"によって
上記の者たちと同じように沢山のデザインが制作されました。
彼らは"THE FIRM OF CHRISTIAN FRERES ET FILS"を立ち上げ
後に名前を DESIRE CHRISTIAN &SON とした。
(フランス語名は"CHRISTIANET FILS")
ブルグン・シュヴェレル工房の運営ディレクターANTONIE BURGUNが
無理矢理 辞任させられた時、クリスチャンもデザインスタジオを移り
自宅を装飾工場とした。彼はマイセンタール工場からの仕事を
今まで通り受け付けたが、注文は来る事が無かった。
しかしながら"VALLERYSTHAL"の装飾にはデジレ・クリスチャンの
名前を見る事が出来る。二人の兄弟も熟達したグラスデザイナー、
装飾家、彫刻家となって三人のクリスチャンは同じ様な技術を用いるため
三人を区別するのは不可能である。
1895年 ストラスブルグのEXHIBITION OF THE ARTS AND INDUSTRIES OF ALSACE-LORRAINEに出品
1898年 ミュンヘンで行われた第8回国際芸術博覧会に出品
1900年 パリ万博で銀メダルを受賞
1901年 のセント・ペテルブルグではディプロマを授与
1904年 セントルイスでの国際大会では、金メダルを受賞
1904年 THE MUNICH SECESSIONに出品
1901年と1906年のドレスデン大会にも出品した。
彼のサインは沢山の種類があり、VALLERYSTHAL、D,CHRISTIAN MEISENTHAL、
D,CHRISTIAN,SOHN MEISENTHAL、LORRAINE、LOTH、LOTHR
(LOTHRINGENの省略。LORRAINのドイツ人○○)
彼の兄弟のフランソワーズによってデザイン、製作された物には、
通常、F,CHRISTIAN MEISENTHALとサインされている。
頭文字を組み合わせて、DCH(DESIRE CHRISTISN)や大文字のCがLORRAINの反対にあり、Dの文字が左にあり、Aはそれより下に書かれ、Fは右側にあるものがある
1907年、デジレクリスチャンの没後、彼の息子であるARMANDは再び
ブルグン・シュヴェレル工房の仕事に戻った。